モラトリアムぽ子って誰?


はじめまして!モラトリアムぽ子といいます。


アホみたいな肩書きを名乗っていますが、実際はこうしてブログ書いているだけの、ただの無職です。



ざっくりした自己紹介はnoteのほうに書いてるので、よければコッチを読んでください。



ここでは少し深掘りした自己紹介をさせてください。


まずこれまでの経歴は、

関西の4年制大学を卒業
 ↓
就職のため上京
 ↓
新卒入社3ヶ月で小売業を辞める
 ↓
恋人の家に居候しながらニート←今ココ!

こんな感じ。我ながらクズですね……転職活動をするでもなく、バイトをするでもなく、ブログをマイペースに更新しているだけの日々です。


でも、実はこのブログを始めるまでに私なりの葛藤もありました。

なのでここでは“私のこれまでの人生”や、“ブログに込めた想い”について、家族にも友人にも話したことのない本音をぶちまけたいと思います。



ちょこっとマジメな話になりますが、「ふーん、こんなニンゲンもいるのね」くらいに気楽に読んでもらえると嬉しいです。


親の離婚をきっかけに形成されたもの

幼少期のわたしは三重で育ちました。


5歳くらいのころ両親が別居し、私は父親のほうに引き取らた関係で、東京から引っ越してきたんです。


今になると両親や祖父母にはとても感謝しているのですが、幼かった当時の私にとって母親がいないというのは寂しくて仕方ありませんでした。


授業参観も送りむかえも、自分だけおばあちゃん。友達の「お母さんトーク」にはついていけず、幼いながら愛想笑いする日々。

どうして私だけお母さんがいないんだろう? 私は必要じゃなかった?

寂しくて眠れない夜、考えても答えの出ない事ばかりを延々と考えていました。



……そうして何年も過ごし、小学校高学年になると今度は“人と違う”ということを酷く恐れるように。

「母親がいない=普通じゃない」という意識が芽生え、私は人と違うから、他で埋め合わせしなければいけないと常に考えていました。

心のどこかで「ありのままの自分は愛される価値がない」と感じていたのだと思います。


可哀そうに思われないよう他人をからかって自分を強く見せたり、クラスで目立ちたくなくてわざとテストの手を抜いたり。

幼なかった頃の私は、周りからどう見られるかを強く意識する子どもでした。



向き合うことから逃げてきた過去

中・高を経て大学に進学した私ですが、人の目を気にする性格はどんどん悪化していました。


苦手な飲み会も仲間外れになりたくないから参加する

いっしょに授業を受ける子が休むと、ボッチだと思われたくなくて自分も休む


何をするにも“人からどう見られるか”を意識し、他人軸で行動してしまう中身がペラッペラの人間になっていたのです。



人といると気を遣いすぎて疲れるので、次第に「同じコミュニティに長く居続ける」こともできなくなりました。

バイト先、サークル、どこにいってもいい子ちゃんを演じ、だんだん疲れてきてその場に行くのが億劫になる。そうして徐々に環境や物事から逃げるようになりました。



実際に学生時代のバイトは8か所を転々とし、ひどい時には1週間の短期バイトを2日目でバックレたことも。

逃げることでしか自分を守ることができず、そんな自分が惨めで大キライでした。




大学4年生になり就活が本格化すると、楽に内定が貰える企業に逃げ、関東にあった小売業の会社に就職しました。


“社会に出ればきっと私は変われる。環境が私を変えてくれる”

どこかでそんなことを期待していましたが結局長く続かず、3ヵ月で会社を辞めることに。



体力的にしんどかった面もあったけれど、今思うといい子ちゃんを演じることに疲れ、スイッチが切れたように頑張れなくなってしまったというのが正直な気持ちです。


「自分は周りから期待されている。だから頑張らなくちゃ」という自意識過剰な考えが、自分の首を絞めていたことにようやく気付いたのです。



今を逃したら、私は私を一生好きになれない


仕事を辞めた私には、

今までどおり何となくで転職活動をするのか
自分と向き合い、納得のいく道を探すのか


という2つの選択肢がありました。


腐るほど仕事がある今の世の中、私のような人間でも何かをあきらめれば雇ってくれる場所はあります。



でも私は、前職を辞めた日に心に決めていました。

「もう自分の気持ちを見て見ぬフリするのは辞めよう。ちゃんと自分と向き合い、納得できる道を探すんだ」、と。


……なぜならこれ以上まわりに流され続けたら、
私は私のことを一生好きにはなれない。

直感的にそう思っていたからです。



以前から私は薄々と、「嫌われないように他人の目を気にして生き続けても嫌われはしないけど、誰かに好かれることもない」ということに気付いていました。

それどころか「自分が一番自分のことを嫌っている」ということにも。



だから私はじっくり自分に向き合い、納得のいく道を探すことに決めたのです。

時間がかかっても良い。私は全力で後悔のない生き方を探そうと心に誓います。



ルーズリーフ82枚に書きだした“すべて”

自分が本心では何を考え、何をやりたいと思っているのかがわからなかったので、まずは自分の事を理解しようと思いました。


そこで、記憶に残っている事柄すべてを洗いざらい紙に書き出してみることに。

実際に書いたモノ


とりあえずルーズリーフ50枚を目標に、「なぜこの行動に出たのか?」「このとき私はどう感じたのか?」ということまで事細かに書いていたら、結果的に82枚になっていました。



そうして自分の全てを書き出した結果、


・いつまでも子供心を忘れず自分を大切にしたい

・自分のアイデアで誰かに良い影響を及ぼしたい


という超ザックリとした答えが導き出されました。



……しかし、ここで新たな問題が。

答えが形となってでてきた瞬間、急に怖くなったのです。


あとはさらに具体化して動き出すだけ。
なのにいざ考えようとすると怖くて思考が停止してしまう……


なぜ怖いのだろう?と考えてみたのですが、その理由は私の「異常なまでに他人の目を気にし、人と比べてしまう癖」のせいでした。



尊敬する人に勇気を出して相談した話

ようやくやりたい事が見えてきたのに、私はまたもや“周りの目”を気にしてしまっていました。


「社会は私なんか信用してくれない」

「上手くいかなかったら、家族や友人から見捨てられる」

頭の中でブワーっと不安が押し寄せ、その先の事を考えるのが嫌になりました。


結局また振り出しに戻るのか……



諦めかけていたその時、自身の生き方を発信していたある1人のインスタグラマーさんに出会います。

その人は固定観念に縛られず、自分の生きたいように世界を飛び回っている人。まさに私がなりたいと思う、「子供心を忘れずに、他人の人生に影響を与えるパワーのある人」でした。


私はふと、「この人に今の気持ちを相談すれば、何か解決策が得られるかもしれない」と思い立ち、いきなりとてつもない長文でメッセージを送ります。

……すると私の問題の核心を突くような返信が。

「そもそもこうやって他人や外側に答えを求めようとするのは、アナタ自身が自分の内面と向き合うことを避けているから。まずは一人になって自分の克服すべきことを時間をかけて内観、俯瞰することが大切である」


私はこれを言われハッとしました。


「自分自身とじっくり向き合おう」と決めて私なりに色々考えていたつもりだったけど、
私はまた外側に答えを求めたり、できない理由を社会や周りの人のせいにしていたのです。



……そこから、私は自分の弱さとじっくり向き合おうと決めました。

決めたといっても、途中で何度も自信を失って落ち込んだり、病んだりを繰り返して遠回りすることになるのですが。(笑)



23年間で初めて“自分の意志”を持つ

仕事を辞めてから実に5か月近く経ったころ、葛藤しながらも少しずつやりたい事が具体的になり、動きだす勇気が湧きはじめました。

(この間はずっと無職でしたが、ありがたいことに周りの人に支えてもらっていました。)


やはり私のやりたいことは、

・いつまでも子供心を忘れず自分を大切にしたい
・自分のアイデアで誰かに良い影響を及ぼしたい


この2つに変わりありません。



でも、これまでずっと取り繕って生きてきた人間にとって、いきなり周りの環境に振り回されず生きていくことは簡単なことではありません……

「だったら自分の弱さから目を背けないように、環境に依存できない働き方にしちゃえばいいのでは?」

そう思いついたのがきっかけで、企業に属するのではなく、自分だけの力で稼ぐフリーランスという働き方に興味を持ちました。


フリーランスならば責任はすべて自分で負わざるを得ないから環境のせいにできないし、自分の心と身体を大切にもできて一石二鳥だと考えたからです。



そのうえで、「自分のアイデアで誰かの人生に影響を与えられる手段」を考え行き着いた答えが
ブログでした。


実は昔からあれこれ情報収集することが好きだったり、

小学生の頃の「社会見学で学んだことをオリジナルの新聞にまとめる」ということがめちゃくちゃ楽しかったのを思い出し(求められるレベルが全然違うけど)、


“情報を発信する”ことに興味を持っていました。



普段から読書しない、読書感想文は引用しまくり、大学のレポートに頭を抱えていたような私が、文章で誰かに情報や自分の想いを発信していくだなんて果たしてできるのだろうか?

正直不安もありますが、何事も「やってみないと分からない」と割り切ってがんばれるような気がしています。


なぜなら23年間生きてきて、初めて自分が意志を持って決めたことだからです。



このブログで伝えたいことは?

タイトルだけ聞くと「ただのぐーたらブログ」と思われるかもしれないし、それは実際まちがっていません。

無職の私が“好き勝手生きている姿”を発信していこうと思っているから。



ただ、その先に伝えたいメッセージとして

「あしたから本気を出すために、今日は思う存分自分を甘やかそう」

という意味を込めています。


人の顔色ばかり伺って生きる自分が大嫌いで、「あしたこそは本気で変わるんだ」と何度も自分に言い聞かせてきた私がなぜこうも変われなかったのか?

それは、立ち止まる時間がなかったからではないかと。

つまり

“あしたこそ”という無限ループから抜け出せたのは、「思う存分自分を甘やすことができたから」ではないか?

ということに気づいたんですよね。



実際に私は5ヶ月間”何もしない”時間を作ったから、こうして誰の顔色も伺わずに自分のやりたいことを見つけることができました。

そしてそれはもちろん、たとえ1日でも、1時間でも、意味があるものだと思います。

だから私は自分の生き方を通して、「自分を甘やかすのは悪じゃないんだ」「休むときはとことん休んで良いんだ」ということが少しでも伝われば良いなと思っています。



そして「自分を甘やかす」というのは物理的な意味にとどまらず、自分の心の声に耳を傾けてあげることでもあると私は思っています。


「忙しくてついつい自分の時間を後回しにしてしまう」

「他人の意見に左右されやすい」

「自分のやりたいことがわからない」


こんなふうに、“自分の意志を置いてきぼりにしてしまうこと”、皆さんはありませんか?


そんな人こそ、少し立ち止まって自分のための時間を過ごしてみるのが大切なんじゃないかなと。

このブログがそのきっかけとなれるような場所になれば嬉しいです。一見めちゃくちゃ“無益そうな記事”ばかりですが。



周りの人の支えのおかげで今日も生きている。


しかしながらここで素朴な疑問が浮かびます。


ブログだけで食べていけるのか?





いや無理~~~~!(ロバート山本風)



ブログを本業とする方たちは、「最初に副業としてブログを始め、稼げるようになってある程度余裕ができたら本業に切り替える」というパターンがほとんど。

知識ゼロ・収益ゼロでいきなりブログを本業にするなんて、かなり非現実的な話なのです。


では私はどうしたのか?




……私は、人に頼りました。

親から仕送りをもらい、恋人にも支え続けてもらって生活しています。有難い。

「23歳にもなって自立してないなんてみっともない」「周りに迷惑をかけるな」などと思われても仕方ないかもしれませんが、頼れるものには全力で頼る。助けてくれる人がいるのならば、感謝した上で甘えればいいじゃない、と私は思うのです。

というわけで私は、お世話になっている人たちに恩返しをするという意味でも、 とりあえずブログを続けていきたいです。

正直SEOやらプログラミングやらに疎いし、閲覧者数もまだまだ。……ですがまずは胸を張って、「無職だけど今楽しいです」と言えるよう、

モラトリアムぽ子、がんばります




最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

2022年1月8日